日日是好日 単なる変わった26歳の頭の中。

思ったことをありのままに書いていこうと思います

何度目かの転機やと思って書いてみる。川村元気氏著「億男」を読んで〜Life is tourism〜

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転職ってどうしてするんだろう。私はこれまで職って自分で名乗れる肩書きのようなものだと思っていたし、その肩書き(株式会社〜の吉田です)を言っておけば人に信頼されるから必要だって思っていた。

会社に属さなければいけないって思っていたのもそれが理由かも。自分で何かことを興すことは好きだけど、本当に信用してもらえるかな、大丈夫かな。ってゆう不安があったから、肩書きを名乗って信頼してもらっていたんだと思う。

もしその肩書きがなくなったらどうか、って考えたときに、これから自分で会社を経営してやって行かなきゃいけないから、今「私は怖くない」、って言い切れないけど、でもそんな肩書きに頼っても何も見つけられないんだよ。自分がやりたいことを実現することはできないんだよ。って思う。

自分がやってみたいこと、こんな社会を作りたいって思ったときに、こだわるのは肩書きじゃなくてそれに飛び込む勇気と想像力とちょっとのお金。(チャップリンが言ってた、億男から学んだ)

最近すごく思う、人生は旅だなーと。旅芸人ってお母さんに言われるけど、私は和歌山→京都→和歌山→東京→福島→和歌山って旅しながら生きてる。こうやって仕事を探して生きているように思うけど結局仕事をして得たお金、今残っているお金ってほんのちょびっと。東京で貯まりそうやったけど結局それに快感も何も覚えんかった。んでちょびっとしかない。でも、だからお金のために働いていたんじゃないって、自信を持って言えるわけや。

ある程度のお金さえあればなんとか生きていける世の中やし、困ったことがあれば最終的には仏様が悪いことしてなかったら見守ってくれているから大丈夫。

自分の旅のルートを決めるのは自分であって、その旅ごとに人や知識や防御力を身につけて前に進んできているわけ。そこで落とし物はあるか、ってゆわれると、「もっとこうして置いたらあっちのところまでいけたかな」なんて思うけど、それは別の人が生き始めている道やし、自分の道はこっちって決めたから同じ道はないわけ。

決断したこと、決断したルートに間違いはないと思ってる。だって決断してまた別の人に出会えて、別の思考が身について、面白い発見がありまくるから。

そんな考え方がいいかは別として、自分の決断を、旅の決断を、あ〜自分らしいって言える決断になっていればそれでいいって思える。

素直な気持ちでした。(写真:元乃隅稲荷大社

「退社」ってワード調べすぎて、大社を打ちたかったのに退社になったomg